Vivian Stanshall

1943−1995

Text:NI

1980-1989    

1980年

スタンシャルが作詞した"Arc of A Diver"が収録されているスティーブ・ウィンウッドのアルバム"Arc Of A Diver"が発売。

3月21日(金)、カリスマ・レーベル社長のトニー・ストラットンン・スミスに"Sir Henry at Rawlinson End"の映画化を提案される。スタンシャルは「馬鹿げた冗談」と思いつつも、3週間後には脚本の制作に乗り出す。

初夏、映画の製作を開始する。

"Sir Henry At Rawlinson End"の映画完成。自身も作中のナレーションをすると共にサー・ヘンリーの弟、ヒューバート・ローリンスンを演じた。

この映画の本"Sir Henry at Rawlinson End And Other Spots book"が発売。

シングル"Terry Keeps his Clips On/King Kripple"を発表。

1981年

アルバム"Teddy Boy's Don't Knit"(CD化されている)を発表。このアルバムにはイニス、ロジャー・ラスキン・スピアーらも出演している。"The Tube"には娘の シルキー・ロングフェロー・スタンシャル(Silky Longfellow-Stanshall)が、」 "Possibly an Armchair (and embodying) Fresh Faced Boys" には息子のルパート・スタンシャル(Rupert Stanshall)がそれぞれ出演している。 (ちなみにシルキーは二度目の妻のロングフェローとの、 ルパートは最初の妻との間の子である。彼の子はこの二人だけである)

シングル"Calypso to Colapso/Smoke Signals at Night"を発表。

11月2日(月)放送の ニール・イニスのテレビ番組、"The Innes Book of Records" に出演。(episode # 3.5)

1982年

The Damnedの シングル "Lovely Money"にカメオ出演。

1983年

8月 バンクホリデーの間に"Sir Henry At N'Didi's Kraal"の収録が行われる。 

1984年

アルバム "Sir Henry At N'Didi's Kraal"(CD化されている)を発表。ほぼ全編語りのみのローリンスン物語。(歌は一個所のみある) このアルバムが最後のアルバムとなる。

9月頃 舞台 "Stinkfoot" の制作課程のドキュメンタリーが放映

1985年

12月7日(土)〜21日(土)  ブリストルに停留させたThe Old Profanity Showboatで上演された"Stinkfoot"の舞台の演出と振り付けをする。

1986年頃  ロングフェローと離婚。以後ロンドンのマズウェルヒル(Muswell Hill)のアパートで亡くなるまで一人で暮す。

1986年

薬物依存の治療のため入院。

スタンシャルが作詞した" My Love's Leavin'" が収録されているスティーブ・ウィンウッドのアルバム"Back in the High Life"が発売。

1987年

Cadbury's Creme Eggs のテレビCMを制作する。

ロンドン、ウェスト・エンドのBloomsbury Theatreで"Stinkfoot"の舞台が上演される。

インディーズレーベル、The roughlerから出たオムニバスアルバム"The Warwick Sessions (Vol 1)"に"Holiday Home"という曲で参加。

1988年

4月18日(月) ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。

11月23日(水)  ローリンスン・エンドのエピソードがラジオで放送される。

12月25日(日) Gill Prahのラジオ番組にゲスト出演。


1990-1995

1990年

この年に発売したエルビス・プレスリーのトリビュートアルバム"The Last Temptation Of Elvis"に参加。 "(There's) No Room To Rhumba in a Sports Car"を歌う。

1991年

5月29日(水) ジョン・ピールのラジオ番組に出演。(内容はよく分からない。ロジャー、スレーターも一緒に出演したらしい)

BBC2 のLate Show "Crank" に作、出演。幼少時代について語った。

ピート・ブラウンと再共演。

イギリス全国ツアーを行う。大観衆に迎えられ成功する。

1992年

ボンゾズ、シングル (CD single) "No Matter Who You Vote For The Government Always Gets In (Heigh Ho)"を発表。

1992年-1993年 長年の薬物依存とアルコール依存等のため健康状態が悪化し、長期間入院する。

1993年

BBC2のLate show special、"The Early Years"に出演。幼少時代の思い出を語る。

カリスマ・レーベル創立25周年を記念したアルバムボックスセットの"The Famous Charisma Box"に参加。vol.1に収録されている"Hoopoe's Tales"で社長の故トニー・ストラットンン・スミスに賛辞を捧げる。さらにvol 3の"The Silver Tongued Years"ではこのアルバムのためのオリジナルの短い曲で曲と曲(といっても大半が語り物だが)との間をつないでいる。 

12月20日(金) KendalのMalt Roomで最期のギグが行われる。

1993年-1994年 Ruddles Breweryという会社のビールのテレビCMの制作を手がけ、放映される。ローリンスン一族の食卓が舞台となっておりメル・スミスと Dawn French がサー・ヘンリーを演じた(ダブルキャスト?)。自身もヒューバート役で出演。

同時期、映画 (?) "Loch Ness"の収録に参加。(声の出演) 。

1994年

健康も回復し、新しいアルバム"Sir Henry II"の制作準備にとりかかる。

イギリスのバンドPulpのメンバーが制作した30分のドキュメンタリー

"Do You Remember The First Time?"に出演。

スタンシャルやジョン・ピールをはじめとするゲストが初体験についての質問(時、場所、感想など)に答えるという内容である。(この映像は'96年にポリドールから発売されたPulpのビデオ「コモン・ピープル/パルプ・ファースト・ビデオ」に収録されている。)

12月 BBC Radio 4 の "Essex Teenager To Renaissance Man"に出演。幼少期の思い出を語ったもので彼の母や友人も登場し、地元のサウスエンド・オン・シー(Southend On-Sea)の町を訪れたりした。  

1995年

3月5日(日)早朝 ロンドン北部に位置するマズウェルヒルの自宅アパートで発生した火災により死去。 火は彼の部屋のある4階で発生し、寝室で消防隊員によって発見された。死因は煙を吸引したためによるものである。享年51歳


1995-

1995年

3月21日(火) 追悼礼拝が行われる。

BBC2の Late Showで追悼特番 "Diamond Geezer" が放映される。ジョン・ピールが思い出を語り、番組内で再放送された"The Early Years"の案内役を務めた。

ボンゾズのラジオ出演時の演奏が収録された"Unpeeled"がStrange Fruitより発表される。

1996年 この年に発売されたMarden Hillのアルバム "Hijacked" にヴォーカルで参加。

1997(8?)年

映画"Middleton's Changeling"に出演。 (Marcus Thompson監督)

1998年

11月13日(金) オフィシャル・ホームページが開設される。

1999年

5月 発売の英国の音楽雑誌 "MOJO" の6月号に5ページの特集記事が載る。1988年のクリスマスにGill Prahのラジオ番組にゲスト出演した時のものを書き起こしたもので、ボンゾズの'72年の再結成時の事情について、当時上演された舞台Stinkfootについて、両親について、船の上で暮らしていた時のことなどについて語ったものである。


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トニー・ストラットンン・スミス Tony Stratton-Smith 1933-1987 ボンゾズの元マネージャーにしてカリスマレーベル創始者兼社長。1969年にカリスマ・レーベルを創設。"気違い帽子屋"の絵が会社のトレードマーク。スタンシャルのほかモンティ・パイソンやバリー・ハンフリー(デーム・エドナ)、サー・ジョン・ベッチェマン、キース・エマーソン、マイケル・ナイマンらがこのレーベルからレコードを出した。1985年、ストラットンは映画製作に集中するためとスペインに移住するためなどの事情により、ヴァージングループの会長リチャード・ブランソンにカリスマ・レーベルを売却した。

「馬鹿げた冗談」Hoopoe's Tale (Charisma PoserではEulogy)でスタンシャルはストラットンに「ローリンスン・エンド」の映画化の話を持ち込まれた時の感想を"Silly Question, a Joke?"と述べている。

"Sir Henry At Rawlinson End"の映画 トレバー・ハワード(Trevor Howard)演じる貴族英国のアル中変人貴族、サー・ヘンリー・ローリンスンがこれまたいかれてる彼の家族と召し使い達の手を借りて兄のハンバートの幽霊を除霊しようとする物語である。監督 スティーブ・ロバーツ(Steve Roberts) カリスマ・フィルム制作、 71分、白黒。日本未公開(はっきりそう書いてある資料はみたことがないがというより、どこを探してもこの映画について触れられていないので。唯一洋書の"Leonard Maltin's Movie & Video Guide"にこの映画について触れられてただけである.)ビデオ等は日本では未発売。イギリスでは'PAL方式のビデオのみ'93年に発売された。('99年7月現在、いくつかのイギリスのネット通販の店で販売している事を確認。)

Stink Foot ロングフェローの創作した物語を基にロングフェローとスタンシャルが脚本を書き、スタンシャルが作ったの27曲の歌を加えたコミック・オペラ。

Old Profanity Showboat ロングフェローの所有する船Theklaのこと。当時ブリストルに停泊していた。この船内でStinkfootの舞台が上演された。

Holidy Home 正確には曲ではなく、 人々のざわめく声を後ろに短いナレーションをする「語り」ものである。

ピート・ブラウンと再共演 何を共演したかは不明。調査中

Early Years この番組には他にも何人かの出演者がいて自分の思い出話を語った。ロドニー・スレーターも出演した。 *題名が示すようにゲストの思い出を語る番組かと思われる。(詳細は不明)

"Middleton's Changeling"に出演 imdbによると'98年の作品となっているがAll-Movie Guideによると'97年となっている。そのAll-Movie Guideによるとこの映画は完成するまでに7年かかったとあるのでスタンシャルは確実に出演していたものと思われる。imdbにもall movie guideにも役名もなく下の方にクレジットされているのでカメオ出演かと思われる。この作品は17世紀のイギリスの作家トーマス・ミドルトンとWilliam Rowley共著の"Changelling"(1623年)が原作。映画の舞台は現代のスペイン。


「レコード・コレクターズ」1995年11月号、"Femous Charisma Box"付属の冊子を参考にしました。また以下のURLを参考にしました。

http://remus.rutgers.edu/~woj/fegmaniax/viv.html

http://www.escritoire.demon.co.uk/Rdogends.htm

http://eyelid.ukonline.co.uk/etchings/viv.htm

http://www-2.roughguides.com/rock/

スティーブ・ウィンウッドについてhttp://www.azstarnet.com/~bobbieg/song-en-pg.htm

マイク・オールドフィールドについてhttp://www.tpodege.com/panels/music/pagesmo/the_bell.html

マイク・オールドフィールドの"Boxed"についての長谷川さんのサイトレビュー

スタンシャルの映画作品についてhttp://us.imdb.com/Name?Stanshall,+Vivian

All-Movie GuideのMiddleton's Changellingについてhttp://allmovie.com/cg/x.exe?USR=7:35:12|PM&p=avg&sql=A161725

他、ボンゾ・リンク集で紹介のサイトも参考にしました。


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